貫之の心・私の元永本古今和歌集

一味違った古今集の解読を試みたものです。
抒情詩として読まれてきましたが、「掛詞」をキーワードに解読してみると、政治的敗者の叙事詩が現れてきました。その一部、かな序だけでも鑑賞していただけたらと思います。

(11)道鏡のセックススキャンダルのうそ

再考した際に、また新たな発見をしたので、本文p.51の六歌仙評の遍照の部分を書き直した。
古今和歌局第三夏歌(165)
はちすはの にこりにしまぬ こゝろもて なとかはつゆを たまとあさむく

はちすはの=蓮の葉の、恥す・は(巴、篆書体の形からともえの形で、性交を示す)・の。

にこり=尼(仏教に帰依した称徳天皇のこと)・こり(香り)。
「恥ずべき情交の称徳天皇の香りにも染まらない心を道鏡は、持っていたのに、どうして、道鏡を天皇にするように、称徳天皇は、道鏡をだましたのだろう。」


辞書には、「巴の字」をぐるぐる回るさまをいうと解説されているが、ふたつがかみ合った様子は、性交の様子とみられる。それを、裏に秘めて表現されていることがあるとみるべきであろう。雅の貴族生活は、デカダンであるのだから、性表現が露骨であることも理解できよう。
遍照は、称徳天皇を非難し、道鏡に同情さえしているように思える歌である。もちろん、一介の僧侶が、天皇になることを、桓武天皇の孫としては許しがたかったであろうが。


「なとかはつゆを」の「かは」は河内、「つゆ」の「ゆ」は弓で、河内出身の弓削道鏡とわかるのである。

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