貫之の心・私の元永本古今和歌集

一味違った古今集の解読を試みたものです。
抒情詩として読まれてきましたが、「掛詞」をキーワードに解読してみると、政治的敗者の叙事詩が現れてきました。その一部、かな序だけでも鑑賞していただけたらと思います。

(13)脱字とされるが、掛字・万葉仮名から平かなへ-3

これまで、元永本、秋萩帖の脱字とされる書き方をみてきたが、二玄社「巻子本古今集」にその例を見つけたので、紹介したい。                                                 

  脱字-1     

伝承筆者として、源俊頼(1055~1129)と伝わっているが、今日、元永本と同じ藤原定実(1063~1131)の書と推定されている。冒頭の「やまとうたは・・・」の「う」は、元永本にみられるくせのある「う」そっくりである。

古今倭歌集序の最初の部分で、p11「・・・ことわさしけ きものな(れ)はこころに・・・」の下線の部分(写真左)である。
「な・那」の最終画の3画分が「れ」と読める。「な・那」と書き始めて、後半は、「れ」と読んでいるのである。
原書には、「な・那」と「は・者」の間に小さく「れ」と書かれており、この時は、すでに「脱字」として認識され、掛字がわからなくなっていたのかもしれない。能書が、定実であれば、掛字を意図したであろう。後の人が、「脱字」として挿入したのかもしれない。
三番目の脱字とされているのが、p31「・・・のなかの (つ)をくみ・・・」(写真中央)で、「み・見」の最終画が、「つ」に見える。同様に、p41「・・・いはゝ あきひとの よきゝぬ (つ)らんか ことし」(写真右)の「き」の最終画から「ら」に続く連綿が「つ」に見える。

万葉仮名から、平かなが生まれ、表音文字として独立する過程ではないかと思う。平かなが意味から解放され、また、コミニュケーションツールとして、定家が、書いたままに理解していく大和言葉を整備していく時代へとつながっていく。

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