貫之の心・私の元永本古今和歌集

一味違った古今集の解読を試みたものです。
抒情詩として読まれてきましたが、「掛詞」をキーワードに解読してみると、政治的敗者の叙事詩が現れてきました。その一部、かな序だけでも鑑賞していただけたらと思います。

(14)良房が源信を毒殺

本文p.55、六歌人評の中で、三人目、文屋康秀を貫之は、挙げているが、彼の歌、
「ふくからに のへのくさきの しほるれは むへ山かせを あらしといふらん」の評価点は、ただ、その漢字を分解したおもしろさにあるのだろうか。その政治的背景を掛字で
探ってみたので、追加説明としたい。


この歌は、第五秋歌下の冒頭(249)にある。自然詠としては、既に説明している通りで、掛字を探ってみると、ただの機知の富んだ歌ではなかった。


ふく=服(薬を服用するの「服」の意)。
のへのくさきの=野辺(北辺大臣・源信の暗喩)の・ぐさ(「具者」の直音表記)きの。
しほるれは=絞る(苦しげに声を出す)・れば。
山かせを=山(清和天皇の暗喩)・枷(実権を握っていた良房の暗喩)・緒(命)。
あらしと云らん=有ら・じ・と言ふ・らん(現在推量だが、ここでは婉曲伝聞の意を表す助動詞)。前の「を」から続いて、「緒あらじと云らん」ということである。「云」は、他人の言を引用して言う。


「毒薬を飲んだ(飲まされた)ので、左大臣源信は、苦しみにうめいたが、確かに、良房が『(信の)命はあるまい』と言ったとか。」


左大臣は、良房に毒殺されたのだろうと、作者は、詠っている。「らむ」を使っているから、これは、周知のことだったのだろう。応天門の変(866年)で、最初に被告となった左大臣源信は、この変の三年後、狩りの最中落馬して死んだとされる。伴氏、紀氏の多くが粛清された事件で、右大臣藤原良相も、変の翌年急死して(これも良房の毒殺なのかも)いるから、左右の大臣が姿を消した、良房にとっては都合のいい、二人の死なのである。つまり、彼らの死を誘導したと考えられる。


貫之は、この六歌人評で、「…歌のこゝろをも しれる人 わつかひとり ふたりなり…」と言っている。康秀の評価を考える時、これは、合計三人いると意味しているように思える。優れた、ウィットの利いた自然詠を基に、良房の陰謀を詠んでいるから、業平、小町に加えて、康秀も優れた歌人と評価しているのではないか。


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