(35)升色紙にみる歌の不理解
(34)で、拾遺和歌集が出された時は、歌の本意が理解されていたことをみたが、11世紀になると、書写からもその意が理解されていないことを説明したい。
表面上の意味は、「今はもう、恋死んでしまっていたであろうに、逢いたいというあなたの言葉が、頼みで生きています。」という情熱的な歌である。その情念が伝わるような書き様で、表面上の意味を書にしている。
散らし書きは改行の際、貫之の時代、文節の途中で行われている。ここでは、ほとんど文節で改行して、私たちには、非常に読みやすい。これだけで、時代が変わっていて、この書写が、貫之の時代ではないことがわかる。
掛詞だけを取り上げると、
いまははや=今は(臨終)・早(もう)。
こいしなましを=恋死なましを、(音読みで)連枝(貴人の兄弟姉妹)・生し(形シク終
止形・未熟である)を。
あひみむと=相見(理解する)む・と(順接の接続助詞・仮に…たら)。
たのめしことそ=頼めし・子(陽成)と祚(天皇の位)。
いのちなりける=意の血(望んだ血筋)・業(業平のこと)消(自下二未然形・死ぬ)る
(完了の助動詞「り」連体形)。
「(業平の)臨終になってもう、基経、高子兄妹は、(言い争いばかりで)未熟であるが、もし歩み寄ればいいものを、頼みになるのは、陽成天皇である。(そうしているうちに)望んでいた血筋の業平が亡くなってしまった。」
歌の初めは、業平の臨終の一報を聞いたのであろう、歌の終わりには、亡くなってしまっている。反藤原氏卑官の深養父にとって、基経と高子の確執は、幼稚に見えたのだろう。天皇が、基経の実妹の血を継き、その位があればそれでいいではないか、とみている。
こうした深養父の真意は、この書きぶりから、くみ取ることは難しい。一義的な和語、コミュニケーションツールとしての言葉の書き方が模索され、定家によって、定義される時代になるとみる。