(40)あのすばらしい仮名序をもう一度。
1100首を掛詞により、解読してみた。これは、「掛詞」で古今集は、作られているという私の仮説の証明でもある。それが、できたと思ったが、最初に解説した仮名序の地の文を、掛詞で解読できていなかったことに気づいた。
余りに有名な書き出しで、その裏に、掛詞があるとは思いもしなかったからだ。そして、始めた。
掛詞だけを解説します。
やまとうたは ひとのこころを たねとして よろづのことのはとそ なれりける
やまとうたは=山(やま、天皇の暗喩)登壇(とうだん、天皇の位に就く)は(詠嘆の終助
詞)。
ひとのこころを=人(ひと、宇多天皇)の御後ろ(ごごろ、後継者)を。
たねとして=断念(だんねん、諦めること)度し(どし、他サ変連用形・官が度牒を与えて
僧尼とする、つまり、正式な僧となる)て。
よろづのことのはとそなれりける=万の(よろづの、多くの)事(こと、歌)の判(はん、
批判)と礎(そ、いしずえ)生れ(なれ、自四已然形・生まれる)り(完了の助
動詞連用形)ける。
「(宇多)天皇が即位したよ。宇多天皇は、(藤原氏主流の後継者に皇位を取られて自分の希望した)後継者(斉中親王や斉世親王)を諦め、出家し(古今集を編纂して)多くの歌が(政治の)批判と礎として、(ここに)生まれたのだ。」
古今集が、宇多天皇の藤原氏主流に対する批判の歌であることを、宣言しているのだ。宇多は、橘義子所生の斉中親王を皇太子にしたかったが、基経に射殺されて(668)、藤原胤子所生の敦仁親王(醍醐)に皇位を継承せざるを得なかったのだ。
よのなかにあるひと ことわさ しけきものなれは こころにおもふことを みるもの きくものにつけて いひいたせるなり
よのなかにあるひと=世の中に或人。
ことわさ=こと(事業、行為)わさ(異業、他のこと)。
しけしき=「け」の一画目を「し」と戻って読んで「しけしき=形シク連体形・汚い、荒
れている」と解釈できる。
いひいたせる=萎靡(いひ、衰えて元気のなくなること)致せ(他四已然形・もたらす)る
(完了の助動詞「り」連体形)。
「世の中の或人(藤原氏主流)は、(常識に外れた)異なる行為が汚いので、後継者に思うことは、見聞するものにつけ、元気を失う結果になっている。」
藤原氏主流の次々と繰り出される策略に、はまり、衰退していく宇多は、打つ手がないのである。
はなになくうくひす みつにすむかはつのこゑをきけは いきとしいけるもの いつれかは歌を よまさりける
はなになく=(音読みで)禍(か、災い、謀略)に泣く。
うくひす=鶯(呉音・あう、つまり、「おう」という感動詞)。
かはつのこゑ=蛙(呉音・あ、感動詞・ああ)の声(漢字音)。「声」は、漢字音のこ
とで、音読みを意味しているから、鶯は、「おう」、蛙は、「あ、ああ」とい
うため息交じりの感動詞ということである。
いきとしいけるもの=異議(いぎ、異論)と・しい(あざ笑う時の声)蹴る(自下一連体
形・足で突き飛ばす、拒否する)者。
いつれかは歌をよまさりける=いづれ家(か)・端歌(はうた、ちょっとした歌)を詠まざりける。
「災いに泣き、『おう』、『ああ』という嘆き声を聞けば、(謀略は)おかしいと異論を唱え、あざ笑いの声を一蹴するような家の者は、ちょっとした歌を詠まないであろうか。」
こうして始まる仮名序は、ちゃんと、古今集が政治歌であると説明していることがわかる。万葉集から引き継がれた政治歌によって、正史に残された歴史とは異なる、敗れた者たちの歴史をも組み入れることによって、歴史の真実味がより深くなる可能性がある。