貫之の心・私の元永本古今和歌集

一味違った古今集の解読を試みたものです。
抒情詩として読まれてきましたが、「掛詞」をキーワードに解読してみると、政治的敗者の叙事詩が現れてきました。その一部、かな序だけでも鑑賞していただけたらと思います。

(7)脱字とされるが、掛字・万葉仮名から平かなへ-1

これまで、アカデミアでは、元永本は脱字、衍字が多く書写した能書の力量を疑っている。平たく言えば、いい加減な教養のない者が、写し書いたもので、信用ならないので、すべて信用できないしろものである、ということ。

そうではないことを、原本の元永本の書きぶりを観察することで説明したい。
かな序には、脱字は5カ所あるとされる。二つは誤解、一つは四字にわたる脱字で、秋萩帖にもみられる掛字、そして残りの二つは、一字の脱字で掛字と私はみている。まずは、ここでは、この一字の脱字について説明する。
二玄社「元永本古今和歌集」の写真本(Aとします)を、私が臨書したものをみていただきたい。(版権のため。写真にしたかったが、稚拙な模倣でその意が達せられないが、正確にはAを当たって見てください。)        
            

       

AのP44、2行目に「たゝむ事 か(た)く」赤人は人丸…とあり、「た」が脱字とされています。写真図の右の文節の下から二文字目「駕・か」は万葉仮名で、下部の「馬」が、「多・た」に見えます。もちろん、能書は、「駕」と書いて、加と馬を「か」と、「馬」と書いて平かなの「た・多」に見えることを意図して書いている。また、歌の意味の上でも、「かく=このように」という意味を掛けている。「人丸は、赤い衣の五位になることは、このようにできず」と付け加えているとも解釈できる。


写真図左は、かな序最後から、6行目(P70)の脱字で、…なかく「つ(た)はり」の部分。「つ・徒」に続いて「は・者」の四画目までの太い線は、「多・た」に見える。「た」と読んで、次に本来の「者・は」と読むことができる。「多」と書きながら、「た」と発音し、続いて五画目以下を書いて「は・者」が現れる。私も、この字を書きながら、その過程を追体験したように感じた。
この二例は、万葉仮名から、平かなへの移行過程を示しているとも考えられる。


脱字には、もう一つ、驚きの4字の脱字の例がある。「能書の間違い」として、無視すれば、簡単であるが、そんなに侮ってはならない。化学実験をする時、結果が予想したものにならないと、まず間違ったことをしたのは、自分ではないかと疑うのがふつうであるが、この世界では、「結果が」間違ったものと決めつけるらしい。
次回は、この複数文字の脱字の解読を、秋萩帖のそれと共に試みたい。

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