貫之の心・私の元永本古今和歌集

一味違った古今集の解読を試みたものです。
抒情詩として読まれてきましたが、「掛詞」をキーワードに解読してみると、政治的敗者の叙事詩が現れてきました。その一部、かな序だけでも鑑賞していただけたらと思います。

(15)万葉集(2991)…馬声蜂音石花=いぶせ?

本文p.27の終わりに、貫之は、比喩歌にして、よい歌として、万葉集(2991)を挙げている。原文は、
垂乳根之  母我 養蚕之  眉隠    馬声蜂音石花蜘蛛*荒鹿  異母二不相而
たらちねの おやのかふこの まゆこもり い ふ せ くもあるか いもにあはすて
*「蜘蛛」の「蛛」は、原書では、虫偏に「厨」を書きます。


漢字に対応するように、平かなを配置してみた。
詠作された当時、どのようには発音朗詠されたかは、知るべくもない。
ただ、貫之が、万葉集にあるこの歌を、平かなでこのように表記したことは、確かにこの漢字表記の文をこのように読むことができたことは確かであろう。意味は、
「大事に母親が見守っている子(娘)守りよ、不愉快なことであるよ、私にとっては、恋
 人に逢えないのだから。」


これによれば、馬声=い、蜂音=ふ、石花=せ、と読むというのだろう。貫之の時代、万葉仮名とそれ以前の表記文字は、古文になっていたであろうが、彼はきちんとそれを理解していたということだろう。
枕詞とされる「垂乳根」は、親、母親に掛かるとされるが、じっとみていると、納得いくように思えた。万葉集には、きわどい性愛歌があるが、
垂れた乳=老婆→母
垂れた根=男根→父
を象徴しているのである。だから、両親を意味するというわけだ。
だから、ここでは、母を限定するために、発音するには「母我=母が」ということなのだが、濁音は嫌われ、「の」の主格助詞が使われたと考える。
元永本では、「いふせ」の「せ」とされる文字は、かすれて判読が難しく、私には、「閑・」に読めるのだが。
伊達本では、「せ」である。この度は、「か」と読んで解釈して、このたわいもない歌に、政治歌が隠されているとみて、探ってみたので、追加説明としたい。


おやのかふこの=母(鸕野讃良、持統天皇)の・がふこ(合期=思うようになること)・の。
まゆこもり=草壁親王が眞弓丘陵に葬られたこと。これが解読のきっかけです。
いふくもあるか=不審に思われることよ、威武・かくもあるか(武装して威嚇することのすごさよ)。
いもにあはすて=妹(鸕野讃良の母違いの妹・阿倍皇女、元明天皇)に・あは(合う・四未然形・戦う)・ず(否定の助動詞「ず」連用形)・て(状態を表す接続助詞…のさまで)。


「母親(鸕野讃良)の思い通りになると思っていた息子の草壁親王が皇位継承することなく、亡くなって眞弓丘陵に葬られたことよ、母違いの妹阿部皇女と(皇位継承を)争うことがないのは不審なことで、鸕野讃良の武装のあのように凄まじいことよ。」


天智天皇の娘、鸕野讃良と阿部皇女は、母違いといっても同じ蘇我氏で、はためでは、草壁親王の母と妻という立場にあるが、草壁との間には、軽(後の文武天皇)のいる阿部皇女を差し置いて、鸕野讃良が武力で、しゃしゃり出たという感じなのだろうか。この武力のすごさは、天武天皇の没した次の月に大津皇子が自害に追い込まれたことからも推察できる。亡き天武天皇の権力を温存できたのは、彼女しかいない。母親を無視して、祖母が孫を皇位継承させるために、自分が即位を成し遂げたのである。




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