貫之の心・私の元永本古今和歌集

一味違った古今集の解読を試みたものです。
抒情詩として読まれてきましたが、「掛詞」をキーワードに解読してみると、政治的敗者の叙事詩が現れてきました。その一部、かな序だけでも鑑賞していただけたらと思います。

(20)細石(さざれいし)が巌(いわお)に?

(343)わか君は 千よにましませ さゝれいしの いはほとなりて こけのむす左右
                                 讀人しらす


日本の国歌の元でもあるこの歌は、古今和歌集巻第七祈(伊達本では、賀歌)の冒頭にある。
私はこの意味をいつも、不審に思っていた。礫岩ではあるまいし、小石が岩になるはずがないではないか、エントロピーの法則に反する!


わか君=我が、王家・君(清和天皇の暗喩)。
千よにましませ=千・代、夜・に・ましませ(自四命令形・いらっしゃいますように)、
    増し(自四連用形)交ぜ(自下二未然連用形・加え入れる)。
さゝれいし=細石、さゝ(感動詞「栄えよ」という意の呪術的な褒め言葉)令嗣(跡取り 
    の人を敬った呼び方)。
いはほ=巌(岩秀、大きな岩)、家秀(力ある家)。
こけのむす左右=苔、後家(対になっているものの一方がなくなり、残ったもの)・の・
    生す、咽す(むせる)、無す(亡くなる)・まで(真手=左右の両手、左右大臣
    の暗喩)。


「清和天皇においては、千夜にまして(女を後宮に)加えている。さあさあ、栄えよ、お世継ぎ様(良房)は、権勢ある家となって、右大臣良相は没し、残る左大臣源信は、むせて死んだことよ。」


応天門の変(866年)は、伴氏、紀氏の多くが処罰され没落を深め、良房が一挙にのし上がった事件である。告訴した側の右大臣藤原良相が867年没し、左大臣源信が落馬がもとで、869年急死したとされるからである。しかし、源信は、文屋康秀が(249)の歌で、良房が毒殺したと暴露している。実質的には、良房が政治を操ったことを皮肉をこめて「お世継ぎ様」と詠んでいるとみた。


貫之らの編纂した原本では、みな平かなで書かれていたであろうが、能書は、その意図をよく理解しており、秘匿する必要性の薄らいだ後世に、そのヒントを漢字に込めたのだろう。

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