貫之の心・私の元永本古今和歌集

一味違った古今集の解読を試みたものです。
抒情詩として読まれてきましたが、「掛詞」をキーワードに解読してみると、政治的敗者の叙事詩が現れてきました。その一部、かな序だけでも鑑賞していただけたらと思います。

(28)伊勢物語を掛詞で読むと…

古今集の中に、業平の歌が30首も採られているが、その多くに長い詞書が添えられている。しかも、他の歌と比べられない程長い。同時代に、伊勢物語が知られており、業平は、私家集を残していなかったので、この優れた歌人の歌を引く時、伊勢物語からそのまま取ってきたように思える。


(404)にみるように、貫之は、このブログ(23)でも解説しているように、詞書にも掛詞を使っているから、この伊勢物語にも使われているのではないかと思われる。それを感じたのは、(616)の業平の歌、伊勢物語(2)にあるが、その詞書の巧みさを紹介したい。


「伊勢物語」阿部俊子(講談社学術文庫)をみると、凡例に「底本(天福本系統の三条西家旧蔵本)はできるだけ忠実に活字にし、…仮名に漢字をあて…底本にはないが、濁点、句読点、括弧を付した…」とあるが、結果的には、これは、恣意的解釈をしたことになっている。そこで、ネット上の古典原本にもどって採字からはじめた。


伊勢物語(2)の部分、
むかしおとこありけりならの京は
はなれこの京は人の家またさた
まらさりける時ににしの京に女
ありけりその女世人にはまさり
けりその人かたちより心なん
まさりたりけるひとりのみあ
らさりけらしそれをかのまめ
おとこうちものかたらひてかへりき
ていかゝ思ひけん時はやよひのついた
ち雨そほふるにやりける
おきもせす ねもせて夜を あかしては はるのものとて なかめくらしつ


むかし=無冠子、無瑕疵(欠点のないこと)。
二行目先頭の「は」は衍字とみた。
さたまらさり=さ(副詞・そのように)溜まら(自四未然形・寄り集まる)ざり。
その女世人にはまさり=その如是(この通り)人(男)には交ざり。
そのひとかたちより心なんまさり=その人が(の)立ち(育ち)より(が原因で)心難
    (欠点)増さり。
ひとりのみ=日取り(天子の位を盗る)の身(生涯)。
かのまめおとこ=彼の間(あの間、情交している間)女男。
うちものかたらひて=打ちもの(品物を取り替えること、業平との子を清和の子とする
    )語らひて。


以上のような掛詞を、通常の訳語と離れて考えて、解読してみた。
昔、天子になれなかったが、欠点のない(素晴らしい)男がいた。奈良の京には、遠ざかり、平安の京には、まださほど人の家が寄り集まっていなかった時、西の京にある女(高子)が(愛人として)いた。彼女は、御存じの通り、彼と通じていた。彼女の育ちのせいで、心に欠点が多くなっていた。(男の方は)天子の位を盗る身分ではなかったらしい。しかし、情交の間、ふたりは、自分たちの子を清和の子と取り換えることを相談して、彼は帰って来たのだが、どう思っただろうか。好機は、三月一日にやってきた。雨がしとしと降る時、歌を送った。


古今集(616)にある詞書は、短くなって次のようになっている。
やよいのついたちころにしのひ
に人にものいひてのゝ
雨そほふりけれはよ
みてつかはしける


伊勢物語(2)では、恋物語である。業平と高子の不倫の最中に、自分たちの子を清和の子として、すげ替えようと相談していたと詠っている。効は奏して、869年貞明親王が誕生、生後三か月にして、正に、三月に立太子をふたりは勝ち得ている。


しかし、古今集では、どうか。
やよひのついたち=やよ(感動詞・やあ)妃(仁明天皇の妃順子)の・突い(突然などの
    意を添える接頭語)絶ち。
雨そほふる=天祖母(清和天皇の祖母順子)古る(過去のものとなる、死ぬ)。


やあ、(仁明天皇の)妃順子が、871年突然亡くなったころに、(つまり)こっそり高子と情交した後、清和天皇の祖母順子が亡くなった時、詠んで送った歌。


このように、どうやら政治歌である。
ーつづく。

×

非ログインユーザーとして返信する