貫之の心・私の元永本古今和歌集

一味違った古今集の解読を試みたものです。
抒情詩として読まれてきましたが、「掛詞」をキーワードに解読してみると、政治的敗者の叙事詩が現れてきました。その一部、かな序だけでも鑑賞していただけたらと思います。

(30)漢字の威力・熟田津に船乗りせむと…

(12)万葉仮名は、意味を引きずる でも言及したことであるが、漢字を万葉仮名として音として用いても、読者は、意味を忘れることができない。漢字は、意味を決定づける。


再び、万葉集の歌を取り上げて、その漢字の就縛から抜け出した、当時のインテリの歌を解読したい。


万葉集巻第1(8) 斉明天皇が額田王に詠ませた歌で、661年伊予幸の時詠った歌(この年斉明天皇没)。
熟田津尓   船乗世武登   月待者     潮毛可奈比沼   今者許藝乞菜
にきたつに ふなのりせむと つきまては しほもかなひぬ いまはこぎいでな


五句が、字余りで、「乞」を「いで」に無理な訓みにしているので、素直に「こな」と訓み直して、解読した。


にきたつに=二期(二年)経つに。有間皇子が粛清されて二年経つので。
ふなのりせむと=傅(東宮職員)・名乗りせむと。
つきまては=月、継ぎ(跡継ぎ)・待てば。
しほ=苦労。
いまはこきこな=今は(臨終)・国忌・来(カ変未然形)・な(希望の終助詞)  
                                   
「(有間皇子を粛清して)二年がたって、(鎌足は)東宮職に名乗り出て、皇太子の中大兄皇子の即位に期待したので、苦労の甲斐あって、臨終、国忌の際は、(中大兄皇子が)来て(斉明天皇の葬儀を)執り行ってほしい。」


斉明天皇が、藤原鎌足に次の即位は、天智にするように、自分の葬儀を彼に執り行なわせるように伝言した歌とみた。


ここでは、船出の檄を飛ばしているわけではなく、斉明天皇没後の即位のために、斉明の葬儀を中大兄皇子が執り行えと、藤原鎌足に託した歌を額田王が代詠しているとみた。天皇の喪主が、次の天皇になるというわけである。


私たちは、平かなと漢字を区別して自在に表現できる。その意味では、漢字に就縛されているのは私たちであり、平かな文字の源流の時代には、人々は音として聞けた、同時通訳の感覚である。その漢字の就縛からの脱出への希求が、平かな創設への原動力となったと、私はみる。

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