貫之の心・私の元永本古今和歌集

一味違った古今集の解読を試みたものです。
抒情詩として読まれてきましたが、「掛詞」をキーワードに解読してみると、政治的敗者の叙事詩が現れてきました。その一部、かな序だけでも鑑賞していただけたらと思います。

(32)歌聖・人丸の歌-2 「ほのぼのと・・・」

冒頭の仮名序の解説をした時、人麻呂の(409)のこの歌を読めていませんでした。万葉集の歌は、その訓読から、検討しなくてはいけないのだが、仮名序には、平かなで表記してあるので、この手間が省ける。この表記の通りに詠んでいたということ。万葉集の全歌について、平かな表記をしてくれていたらどんなにかよかったかと…
とにかく、改めてこの歌の解読をしたい。


(仮名序、409)ほのゝゝと あかしのうらの 朝霧に 嶋かくれ行 舟をしそ思


掛詞の解説のみを書き出します。
ほのほのと=炎の徒。
    このブログ(16)でも解説しているように、炎=頬(ほほ)の炎。吉野の盟約をし
    た6人の仲間のひとりの意。
あかしのうらの=明かし(形ク終止形名詞・潔白なこと)の・うら(心)の。
朝霧に=朝(朝廷、天武没後のその妻、鸕野讃良)・斬り・に。
嶋かくれ行=嶋(川島皇子)隠れ行(隠れて行ったこと、密告)。
舟をしそ思=不念(不注意)、舟(棺)・惜し・(音読みで)祖師(開祖、天武天皇)
    4,5句のそれぞれの末字の漢字の送り仮名がないのは、名詞の掛詞にするため
    の細工であり、そして、漢詩の韻律を模しているとみた。


「(吉野の盟約を交わした6人のひとり)大津皇子は、潔白な心を持っていたが、川島皇子の密告により、朝廷によって斬り殺されてしまった。油断が残念、天武天皇よ。」


人麻呂は、天武の家臣として、その息子大津皇子を守れなかったことを、天武天皇に懺悔している歌とみた。

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