貫之の心・私の元永本古今和歌集

一味違った古今集の解読を試みたものです。
抒情詩として読まれてきましたが、「掛詞」をキーワードに解読してみると、政治的敗者の叙事詩が現れてきました。その一部、かな序だけでも鑑賞していただけたらと思います。

(44)名前考-1

昔、人々は、地名、人名に意味をこめてなづけた。言霊信仰は、根強い。
再び、かな序に帰って、解読してみて、実感!


紀友則、貫之は、光孝天皇の子。良房の策略で、望んでいた惟喬親王の皇位継承が阻まれた後ろめたさに、文徳は、腹違いの弟道康(光孝)に頼み込んで、紀氏の娘の救済(?)のため、娶せているのである。(…四にはたとへ歌 わかこひは…)


そして、生まれたのが、友則、貫之である。
友則は「伴則」、つまり、母は伴氏であろう。他にも、「友」のつく紀氏がいるが、母が伴氏とみている。それだけ、伴氏とのつながりが紀氏は強い。


森鴎外の「帝諡考」の持統紀のところに、「…一以貫之…」とあり、私はこれを見た時、目が点になってしまったことを覚えている。ここから、貫之の名は、取られている。天智の娘である持統が、結果的に、天智系の皇統をとりもどしたことと、桓武の祖母紀橡姫が天智系にもどしたことが重ねられているとみる。光孝、宇多は、自分の血筋を見据えている。


父に倣った宇多は、忠岑、躬恒をなしている。
忠岑は、「直峰」、つまり、直に峰(天皇の直系)に通づるの意がとれる。宇多の長男(885年生まれの敦仁親王と同年か、それ以前に生まれている)である。
躬恒は、「密子」、秘密の子である。


はじめ、光孝にしても、宇多にしても数十人の子をなし、無責任で、デカダンだと思っていたが、今は、人情味あふれる、悲しい男のように感じている。

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