貫之の心・私の元永本古今和歌集

一味違った古今集の解読を試みたものです。
抒情詩として読まれてきましたが、「掛詞」をキーワードに解読してみると、政治的敗者の叙事詩が現れてきました。その一部、かな序だけでも鑑賞していただけたらと思います。

(47)掛詞は続くよ、定家まで。

かな序に書いたように、女文字で書かれた歌には、必ず掛詞があり、政治歌が詠まれているというのが、和歌の常識となる。だから、一字たりとも、いじると意味が取れなくなる。この和歌の常識が保たれるのは、定家の校訂本ができるまでということになる。


定家が生まれるころ、没した小倉百人一首にもある崇徳院の歌を見てみよう。
(77)瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとそ思ふ


「瀬が早いので、岩に遮られ、滝川は水流のように、別れても、将来は会おうと思う。」


五句が余り字。だから、「あはむとそ、(音読みで)し・ふ」と詠んでいるとみる。
瀬をはやみ=背(白河法皇)叔母(白河の養女、藤原璋子)病み(自四連用形)。
いはにせかるる=家(家系)二世(二世代)離るる(自下二連体形・隔たる)。
滝川の=唾棄(忌み嫌い軽蔑すること)川(家系の暗喩)の。
われても末に=割れ(自下二連用形・ばれる)ても末(子孫)に。
あはむとそ思(し)ふ=彼(白河法皇)は・無鈍(間が抜けていないこと)祚(天子)誣ふ(他上二終止形・事実を曲げて言う)。


「曾祖父白河法皇とその養女璋子は、(精神的に)病んでいる。(私は)家系の二世代離れた嫌悪する生まれで、これが、ばれても、子孫には白河法皇は、エライ天皇だと言うよ。」


一世代離れているのが祖父であれば、二世代離れているのは曾祖父である。つまり、崇徳は、曾祖父白河法皇の子であると詠った歌である。
母である璋子は、彼にとって「叔(伯)母」というのだ。祖父の姉妹とみれば、適当な呼び名はあるのだろうか。ただの「おばさん」の意だろうか。乳母が育てる訳だから、母親の感覚はないのだろう。


父白河法皇66歳、母璋子18歳の時の子が、崇徳天皇ということ。
噂は本当だった!

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