(50)芭蕉ルネサンス
芭蕉は、元禄時代、伊賀の人で、「奥の細道」など、俳句を交えた紀行文を書き、それまでとは全く違う俳諧の世界を切り開いたと言われている。
「奥の細道」は、随身を伴って、江戸深川から、5か月の旅日記。
先ず、不思議に思うのは、その費用はどこから?
彼は、何の生産性もない俳句を作るための旅に費やせるお金があるほどの金持ではない。それに、あったとしても、自由に旅をできる時代でもない。
私は、芭蕉の俳句に胡散臭さを感じざるを得ないのだ。
唐突なのだが、彼の俳句を、今までの手法で、解読してみた。出立3年前の句。
古池や かはづ飛び込む 水の声
古池=(音読みで)護持(守ること)、此方(わたし)。
かはづ=か(副詞・あのように)・恥つ(自上二終止形・人目をはばかる)。
飛び込む=訪ひ・来(サ変未然形)む(意思推量の助動詞連体終止形)。
声=漢音。
水の声=「水」の漢音は、「すい・水」(五行説で方向は北)。東北地方を暗喩。
「私をお守りください。あのように、人目をはばかり、東北に行くぞ。」
この句ひとつでは、何とも言えないが、答えてくれたような気分になった。
万葉集、古今集と、脈々たる言葉遊びの中で、想いの丈を叫んだ歴史があるのだ。定家によって散文の基礎は、定まったが、その言語操作は、ダジャレと低次元に置かれたことを嘆いたか。
昔のあの批判精神と、和漢を自在に往来した言語操作をもう一度。
伊賀に育った自主独立の精神をうちに秘めて、古今集に戻ってくれたと妄想したい。