貫之の心・私の元永本古今和歌集

一味違った古今集の解読を試みたものです。
抒情詩として読まれてきましたが、「掛詞」をキーワードに解読してみると、政治的敗者の叙事詩が現れてきました。その一部、かな序だけでも鑑賞していただけたらと思います。

(55)誦文「あめつちほし」の意味

春 あめつちほしそら
夏 やまかはみねたに
秋 くもきりむろこけ
冬 ひといぬうへすゑ
思 ゆわさるおふせよ
恋 えのえをなれゐて


藤原有忠という人が「あめつち」の48文字をそれぞれ和歌のはじめにおいて、源順(911~983年没)に送ったところ、順が、こんどは和歌のはじめと終わりに同じ文字をおいて返歌したものが、「源順集」に「あめつちの歌、48首」として伝わっているというものだ。


これを、いろは歌と同様に、7言律詩風に並べると、


あめつちほしそ
らやまかはみね
たにくもきりむ
ろこけひといぬ
うへすゑゆわさ
るおふせよえの
えをなれゐて


これまた、いろは歌と同様、行の末尾をつなげると、「そねむぬさのて(ねたむ奴そいつの手)」と意味深のことばが浮かび上がってくる。7言律詩を平かなでまねたとすれば、一行足りないわけで、この末尾の7文字で補充している。いろは歌と同じ方法だ。(27)いろは歌の意味 参照。
ねたむ奴とは、惟喬親王のこと。手とは、家来のこと。


春夏秋冬思恋=順(良房の妹順子)河(白河殿、良房)周到知れ。四季試練。
あめつちほし=天(天皇)つ(の)血(血脈)欲し。
そらやまかはみねたに=空山(偽りの天皇、清和のこと)か(副詞・あのように)食み(他
    四連用形・魚などが水面で口を開閉する、あえいでいる様子の例え)妬(ねだ=ね
    たみ)に。
くもきりむろこけ=苦悶着り(他上一連用形・こうむる、受ける)室(仁明の妻、順子)こ
    け(自下二連用形・倒れる)。
ひといぬ=匪徒(集団的賊、良房のこと)往ぬ(自ナ変終止形・死ぬ)。
うへすゑゆわさる=うへ(副詞・なるほど)末(子孫)ゆ(格助詞・…から)(万葉仮名と
    して)王去る。
おふせよ=帯ぶ(他四連体形・任務などを負う)背(男性への呼びかけ)よ。
えのえをなれゐて=縁(血縁)の兄を・成れ(自四命令形・成し遂げる)院(上皇)で。


「天皇の血筋が欲しいことよ。(惟喬親王を追い越して即位した)偽りの清和天皇は、あのように(肩身の狭い境遇に)あえぎ、(惟喬親王は)ねたみに、苦悶を受けた。仁明の妻順子は倒れ、良房は、死んだ。なるほど、(清和の)子孫から天皇になる者はいない。(即位すべき)任務を負う惟喬親王よ。(清和の)血縁の兄を成し遂げよ。院となって。」


「順河周到知れ」ということは、871、872年と続けて、順子、良房シブリンは毒殺(503)(233)されている。あまりにも理不尽な良房の画策に、「そねむぬ(奴)さ(そいつ)のて(手=家来)」とあるように、惟喬親王に与した家来の協力によって周到に毒殺が行われたというのだ。


暗躍しての良房の清和擁立は、多くの人々に反感を与えた。だれもが、文徳の後継者は、惟喬親王だと思っている。しかし絶大な権力を持つ良房には誰も抗えない。そういった状況が見て取れる。


惟喬親王(母は紀氏)を後継者にできなかった文徳は、弟の時康(光孝)に紀氏の娘を身請けするように頼み、友則、貫之が生まれているし(1069)(1091)、明子は、惟喬親王ら三人の文徳の兄に四位を与えている(66)。物の怪がついたといわれるほどに、精神的不調になり、生涯その後ろめたさから、解放されることはなかった。


清和の後継者になったのは、業平との不義の高子の子陽成だった。清和の血筋は、途切れたのだ。即位して当然の惟喬親王に、上皇になって、弟清和の上に立てと言わんばかりに、檄をとばしている。


藤原有忠も、後撰集の編者のひとりでもあった源順も、藤原氏に批判を込めて、あめつちの歌を作っているのだ。まだ、このころは、これらの歌の二重性を理解することは、誰にでもできたであろう。多くの心ある人々によって、口承されたにちがいない。

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