貫之の心・私の元永本古今和歌集

一味違った古今集の解読を試みたものです。
抒情詩として読まれてきましたが、「掛詞」をキーワードに解読してみると、政治的敗者の叙事詩が現れてきました。その一部、かな序だけでも鑑賞していただけたらと思います。

(58)またまた再考「むすふての…」

(23)俊成が激賞した「むすふての…」を訂正する訳ではないが…
なんとも、何の参考書もなく、勝手な「こじ付け」解説を、再ゝ考してまた別の解読を。
和歌の名手の仕掛けた掛詞は、なんとも私の能力を超えて、底知れない。藤原俊成が激賞したこの言語操作、勿論彼自身も、闇の歴史に光を当てたかったのだ。


(404)しかの山こえに 石ゐの本にて 物云ひける人の わかれけるによめる つらゆき
  
しかの山こえに=其(おまえ、大伴親王)が幅(の、はば、母)山(桓武天皇)蹴え(こ
     え、他下二連用形・蹴る、聞き入れず拒む)に。
石ゐの本にて=石井の元にて。(音読みで)赤誠(せきせい、まごころ)の犯人(ぼんに
     ん、犯罪人)で。
物云ひける人の=物言ひ(自四連用形・情を通わせる)ける人(安殿親王)の。
わかれけるによめる=王(桓武)離れ(自下二連体形・関係が絶える)けるに余(私)・滅
     る(自四連体形・滅入る)。



詞書)おまえ(大伴親王)の母旅子は、桓武天皇を拒んでしまい、誠実さに反した犯罪人で、情を交わした安殿親王が、(父)桓武と関係を絶ってしまったが、(このことを知り)私は滅入った(ことよ)。


むすふての しつくににこる 山の井の あかても人に 別ぬる鉋


むすふての=結ぶ(自四連体形・契る)天(天皇)の。
しつくににこる=子(し)継ぐに濁る(自四連体形・けがれる)。
山の井の=山(安殿親王)の亥(亥年生まれ)の。「亥の」は、「人に」にかかる。
あかても人に=あ(感動詞・ああ)勝手(かって、促音無表記)も人(旅子)に。
別ぬる鉋=別(わけ、情事)寝る(自下二連体形・共寝する)(音読みで)坊(はう、皇太
     子)。


「契りをした天皇の子が皇位継承するのに、けがれた安殿親王は、ああ、わがままで、亥年生まれの旅子(桓武の夫人)と情事をした皇太子だ。」


こうした安殿親王への批判は、(38)(64)(126)などにも詠われている。正史には、現れない秘匿された事実が、和歌に詠われている。あて(安殿)は、父という意味であり、後の天皇、嵯峨、淳和の父を暗示して、後世つけられた名前とみる。「旅子」も侮蔑的に名付けられているとみる。桓武からこゝろ離れ、不倫をしたということ。旅子は、桓武に流罪にされ、殺されている(263)。


人は、聞きたいものを聞き、見たいものを見る。そして、その他は、捨てられる。
…All lie and jest still a man hears what he wants to hear 
And disregards the rest… (The Boxer, words and music by Paul Simon,1969)

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