(62)密殺された健皇子
元永本では、(649)の次に、(1108)が挿入されている。この歌は、万葉集巻11(2710)にある。内容から、説明は省くが、斉明天皇の作。「武力で重祚した」と詠んでいる。この歌に続いて、采女のかへしとして、(1109)の歌が挙げられ、「鸕野讃良の弟、健皇子は、鎌足の子で、大海人皇子によって殺された」と詠んでいる。抜けている(664)に当たる歌だ。
時々、万葉集の歌が入っている。読み方がわかる絶好の歌であり、また、日本書紀の中に紹介されている歌謡の類も読み方が特定できる。
日本書紀に、斉明4年(658年)健皇子(8歳)が亡くなった時、斉明が詠んだ歌が三つあり、その一つを説明して、その整合性をみてみたい。(日本書紀下p.201。宇治谷孟による現代語訳 講談社学術文庫)
イマキナル ヲムレカウヘニ クモタニモ シルクシタタハ ナニカナケカム
「今木の小丘の上に、せめて雲だけでも、はっきりと立ったら、何の嘆くことがあろうか。」
イマキナル=汝(い、おまえ)卷(まき、同族)なる。
ヲムレカウヘニ=男(を)群れ(一族)が上(鎌足)に(次に続く)。
クモタニモ=(前から続いて)憎も(にくも、憎らしくも)他人(他の女)も。
シルクシタタハ=領る、知る(しる、他四連体形・支配する、性交をする)屈じ(自サ変
連用形・気が滅入る)絶た(他四未然形・終わらせる、滅ぼす)ば。
ナニカナケカム=汝(な)に(主体を示し敬意を表す格助詞)か(あのように)嘆かむ。
「おまえ(健皇子)は、(鎌足と)同族である男。一族の頂点の鎌足は、憎らしくも(妻以外の)他の女なのに、性交をした。気が滅入り、終わらせれば(殺せば)、おまえ(鎌足)はあのように、嘆くだろう。」
天智の子健皇子は、鎌足の子と解せる。健皇子は、言葉がしゃべれない障害を持った子のようで、それを苦に、また、天智の子でないので、斉明(健皇子の祖母)が、大海人皇子を使って殺したとみられ、父鎌足が嘆くのは、当然であろう。
殺された健皇子は、鎌足の子であることがここでも詠われている。こうした万葉集の歌が理解され、「采女のかへし」が、古今集の中で創作され、詠われている。
高子、順子、蘇我遠智娘は、血族に軸を置く家系存続に命をかける男の犠牲となっているとも見える。業平、淳和、鎌足…一人の男は、その一族の命運を背負っているのであり、皇統に滑り込もうとする歴史は、繰り返されていた。曽我入鹿は、斉明との間に定恵(真人)を儲けるが、定恵は、養父となった鎌足に殺されている。ブログ(48)真人の父は入鹿 を参照。