貫之の心・私の元永本古今和歌集

一味違った古今集の解読を試みたものです。
抒情詩として読まれてきましたが、「掛詞」をキーワードに解読してみると、政治的敗者の叙事詩が現れてきました。新しい仮名序の解読方法は、本にまとめ出版しました。このブログの仮名序説明より広範囲の掛詞の解読をしています。アマゾンで購入可能です。

(104)いろは歌、後半の意味があった!

永井 多佳子

(27)「いろは歌」の意味 を解説したのだが、いろは歌には、まだ後半の意味があり、それを解説したい。


いろはにほへと

ちりぬるをわか

よたれそつねな

らむうゐのおく

やまけふこえて

あさきゆめみし

ゑひもせす


7語ごとに区切って、行末の文字を拾ってみると、

「とかなくてしす」

という意味深な文が現れ、それを解説した。


元永本古今和歌の本篇の歌を解読するなかで、「端居」という言葉に出会い、はたと考えさせられたのだ。

端居は、夕涼みということだが、音読みでは、「たゐ」と読める。いろは歌と同様な形式で1000年前後に生きた源為憲(?~1011年)が、「大為爾・たゐに」と呼ばれる歌を残している。それを解読していて、気づいた。


文末から文初の文字に移って、文字を続けてみると、意味ある文であったのだ!

つまり、「とかなくしす」から「す」の行の初めから、始まりに向かって、文字をつないでみる。すると、


「ゑあやらよちい」という文が得られる。(27)いろは歌の意味 では、意味ある文とはとれず、そのままになってしまった。


「大為爾」では、この部分が、「ねもうゆめむた」とつながり、なにやら、意味がありそうなのだ。(この解読は別の機会に。)


それで、あのいろは歌にも、あるのではないかと再考してみた。


採字してみると、「ゑあやらよちい」。

ゑあやらよちい=飢(ゑ、「飢う、自下二連用形「飢ゑ(うゑ)」の「う」の脱落)綾(あ

    や、筋道、わけ)ら(接尾語)余(よ、私)知音(ちいん、無二の親友)。

    「飢綾ら」は、漢文読みで、目的語があとにあるとみた。


「筋道を渇望して、私は(清和と)無二の親友だ。」

清和は、自身の子ではなく、妻高子の不倫の子陽成に譲位したことは、道理に反していると感じていた。友則も、光孝の長男であるのに、皇位継承はできなかった。ともに、不条理に思っていることは同じで、心通じる友だと作者友則は、思っているのだ。


いろは歌をもちろん、知っていた源為憲がこれに習って、波乱に満ちた歴史の一幕を学識のすべてを以って、歌に書き残したということだろう。

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