貫之の心・私の元永本古今和歌集

一味違った古今集の解読を試みたものです。
抒情詩として読まれてきましたが、「掛詞」をキーワードに解読してみると、政治的敗者の叙事詩が現れてきました。その一部、かな序だけでも鑑賞していただけたらと思います。

(61)人麻呂の死

(623)小野小町
みるめなき わか身をうらと しらねはや かれなて海人へ あしたゆくくる


説明は省くが、この歌意は、
「人麻呂は、天武の子と知られていなかったので、火葬にされなかった。妻は、首をつって自殺した。」
というものであったので、万葉集の彼の辞世の歌をみた。


万葉集(223) 柿本人麻呂 石見の国にありて 死に臨む時 自ら傷みてつくる歌一首。
鴨山の 岩根しまける 我をかも 知らにと妹の 待ちつつある
鴨山之 磐根之巻有  吾乎鴨  不知等妹之  待乍将有


鴨山之=(音読みで)あふ(おう、感動詞・ああ)山(天武天皇)の。
磐根之卷有=家根(いはね、家筋)の卷(まき、同族)ある。
吾乎鴨不知等=吾(わたし)乎(を)鴨(ああ)知らぬと。
妹之待乍将有=妹(も、持統)の末(まつ、最期)乍(たちまち)(音読みで)・錠(じゃう、くさり)有り、性(しゃう、本性)生る(自下二終止形・出現する)。


ああ山の 家根のまきある 吾をかも 知らぬと妹の 末たちまち錠有り
「ああ、天武天皇の血筋と同族の私を、ああ、知らないと、持統天皇が譲位したとたちまち、(私は)鎖につながれ、彼らの本性が現れた。」


人麻呂は、歌の詠われた時期から、持統期に活躍したとされるが、持統が譲位(没した)したとたん、粛清されたということだ。彼の判断によれば、自分が天武の血族であることが知られていなかったのが理由だと言っているが、まさにその理由で、粛清されたのだ。持統は、粛々と天智系皇統を企てているのだから。


ここでも、人麻呂が天武の子であったことは、知られていなかったと詠っている。どうも、天武系の人には、血族の意識が天智系より弱いようだ。天智系に、警戒心がほとんどない。実際には、血筋の原理で行われている継承のはずなのだが。持統は、次々に天武の血の入っている皇子を粛清して、天智の血に入れ替えようとしている。だから、天武の血の入っている自分の子草壁でも毒殺ができる(仮名序p.46)。


一応、古今集の小野小町の歌と人麻呂の歌との整合性はとれる。人麻呂は、大津らと同様に、粛清されたのだ。ただ、皇統には、ほど遠いので、利用するだけ利用する価値のあるカモだったということだ。あわれ、人麻呂!

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