(17-2)早良親王は、何故出家したか。
(17)早良親王は、井上内親王の子? のブログで北畠親房「神皇正統記」に、式家百川が、井上内親王を招き込んで、その息子早良親王を出家させたとあると、私は書いた。
百川がどう説得したのか?
躬恒の(956)の歌にその答えがある。
(956)山法師のもとにつかはしける (凡)河内躬恒
よをすてて やまにいるひと 山にても 猶うき時に いつちゆくらん
よをすてて=世を捨て(他下二連用形・出家する)て、世食す(他四連体形・お治めにな
る)てて(助詞…とて)。
やまにいるひと=出家した早良親王のこと。
山にても=山(天皇の暗喩)にても。
猶うき時に=汝(な=おまえ、式家百川)宝亀(ほうき=770~781年、光仁天皇期)時
に。
いつちゆくらん=厳(いつ=神聖なこと)血(天武系血筋)逝く乱。
「出家して世をお治めになるとして、早良親王は、天皇になる人なのに、光仁天皇の時に神聖な((天武系の)血筋が消える百川の仕掛けた政争よ。」
聖武天皇の孫である早良親王(「(17)早良親王は、井上内親王の子?」参照)は、仏教で世を治める遺訓を継ぐために、出家を勧める百川の進言に乗ってしまったのである。