(78)道長「この世をば…」を掛詞で読むと
このよをは わかよとそおもふ もちつきの かけたることも なしとおもへは
この歌は、道長の歌とされるが、実際は右大将実資が自分の日記(小右記)に書き残した歌で、1018年、11歳の後一条天皇に道長の三女威子(18歳)が中宮になり、一家三后を果たした祝いの宴で詠われた。道長自身は、日記にも残していない。
二句が「わかよとおもふ」とすれば、定型になるのに、意に必要でもない強意の「そ」を挟んでいる。実資が、後から加えたものかもしれないが、掛詞にするために是非とも必要だったということだろう。そんなことはよくある。
このよをは=この世を・は(次に続く)。
わかよとそおもふ=(前から続いて)はわ(母)が世(よ)と其(そ、おまえ、道長)思
ふ。
もちつきの=も(詠嘆の終助詞)父継ぎ(ちつぎ、父系)の。
かけたることも=陰(かげ、恩恵)垂る(たる、自四連体形・現し示す)子(こ)ども。
なしとおもへは=成し(なし、生んだ結果)と思(おも)へば。
「この世は母系と、おまえ(道長)は思うことよ。父の後継者(頼通ら)に恩恵をもたらす子(娘のこと、彰子ら)を生んだ結果だと思うので。」
天皇、男は、母方の地位によって決定づけられることを道長は、「男は妻がらなり」という表現でも表明している。娘らを皇后にすることにより、道長は、自らの息子らの地位を確保したのだ。
単に、個人的なつながりで、天皇の子としての権利を、虚しく求めた貫之らの時代から、大きくマクロな観点に立って、政治の法則を見極めている。
道長の歌とされるが、実資が、一家三后の暴挙を苦々しく思い、道長のひとり勝ちの傲慢さへの批判をした歌を書き留めたとも取れる。それを二句の字余り「そ」が示している。