貫之の心・私の元永本古今和歌集

一味違った古今集の解読を試みたものです。
抒情詩として読まれてきましたが、「掛詞」をキーワードに解読してみると、政治的敗者の叙事詩が現れてきました。その一部、かな序だけでも鑑賞していただけたらと思います。

2017年3月のブログ記事

  • (10)脱字とされるが、掛字・万葉仮名から平かなへ-2

                                 (7)で、脱字を説明したが、p14最後の行に、「…を かたに(に)うつりて…」と「に」の脱字があるとされることを説明したい。 私のこの部分の「…かたにうつりて…」を臨書したものをみていただきたい。 「う」の1から2画目のはじめにかけて、「二... 続きをみる

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  • (9)複数文字の脱字-2 秋萩帖の場合

    秋萩帖には、小野道風筆とされる、48首の和歌が裏紙に書かれており、その内、17首に脱字、衍字がある。三割に「書き間違い」のある、正に「書写した者」のおっちょこちょいぶりが、よく表れた「珍書」?とされている(のだろうか)。古今の書家などにも、草かなのお手本とされ、国宝である。 秋萩帖のこの複数文字の... 続きをみる

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  • (8)複数文字の脱字-1

                かな序の最後のページから2ページ目の終わり(69ページ)に、「あるをや」の4字の脱字があるとされる。 …この歌のもし(あるをや)あをやきの いと の たえす… 「…歌のこの文字は、(あるではないか)青柳の枝の糸のように絶えることなく…」とつづいて、「…後世に残り…」と接続し... 続きをみる

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  • (7)脱字とされるが、掛字・万葉仮名から平かなへ-1

    これまで、アカデミアでは、元永本は脱字、衍字が多く書写した能書の力量を疑っている。平たく言えば、いい加減な教養のない者が、写し書いたもので、信用ならないので、すべて信用できないしろものである、ということ。 そうではないことを、原本の元永本の書きぶりを観察することで説明したい。 かな序には、脱字は... 続きをみる