(2)「あき人」は、下品か?
(54)六人の反藤原氏主流派のひとり、文屋康秀の本文の部分を改定しました。
「…そのさまみに およはす いはゝ あき人 のよきゝぬ きたらんかことし…」
「そのさまみにおよはす」を「その姿は、身に達していない」つまり、教養のない商人がいい服を着ているようなもので、質のいい言葉表現が、内容ある価値を備えている訳ではないと解釈している。そう読めるが、そうだろうか。貫之は、彼を高く評価している。
「そのさま美に及ば・す(使役の助動詞「す」、未然形に接続)」とすればどうか、すると、定家が校訂したくなるような、漢文調のわかりにくい文であるが、康秀をほめた解釈ができた。
再考 2021.3.26
文屋康秀は ことはたくみにて そのさまみにおよはす いははあき人のよききぬきたらんかことし
掛詞だけを書き出すと、
ことはたくみにて=事(技芸)はたく(他四連体形・あるだけすべて出す)身(内容)に
て。
そのさまみにおよはす=その座(坐る場所、地位)魔魅(人をだます魔物)に・及ば(自四
未然形・ある状態に至る)す(尊敬の助動詞終止形)。
いははあき人の=家は・吾君人(仁明天皇のこと、仁=ひと、明=あき)の。
よききぬきたらんかことし=世・効き(自四連用形・優れている)貫き垂ら(他四未然形・
玉などを貫ぬいて垂れるようにする)む水夫同志。
「文屋康秀は、技芸をすべて出し切った内容で、人をだます魔物の地位にいらっしゃる。(文屋)家は、仁明期優れて(栄えて)おり、玉をつないで垂らすような富のあった(紀氏と)同舟の仲間だった。」
康秀の言語操作能力を魔物のように「だます」と最大限、ほめている。表面上の歌が余りに見事なので、掛詞で別の意味の文に取れないのだ。
文屋氏は、仁明期842年承和の変で秋津が、次の年貿易利権をめぐって、筑前守宮田麻呂が良房に粛清されている。大陸の玄関口での富をめぐる攻防である。
文屋氏は、時文(かな序の作者、かな序p.69)にとって、紀氏と同舟の運命共同体であり、今はすっかり没落した名家というのだ。