貫之の心・私の元永本古今和歌集

一味違った古今集の解読を試みたものです。
抒情詩として読まれてきましたが、「掛詞」をキーワードに解読してみると、政治的敗者の叙事詩が現れてきました。その一部、かな序だけでも鑑賞していただけたらと思います。

(8)複数文字の脱字-1

           

かな序の最後のページから2ページ目の終わり(69ページ)に、「あるをや」の4字の脱字があるとされる。

…この歌のもし(あるをや)あをやきの いと の たえす…

「…歌のこの文字は、(あるではないか)青柳の枝の糸のように絶えることなく…」とつづいて、「…後世に残り…」と接続していく部分である。


伊達本では、きちんと「このうたのもし あるをや あをやきの いとたえす…」となっている。「いとの」が、「いと」と「の」が省かれているが。
をや=強い感動、詠嘆を表す間投助詞、…だなあ、じゃないか。


また、私の稚拙な臨書で、申し訳ないが、写真図の左側の文節で、「もしあをやきの」と書かれている。その中の「あ・阿」の最終画が「る」に相当すると見える。つまり、能書は、「もしあ」と書いて、その途中で、筆を止め、「る」と発音しながら書き、「をや」を続けて、(ここまでは、一字の脱字の要領で)次に同じ文字を書くことになるので、省略のために、「あをやき」をもどって読むという、アクロバティックなやり方である。

恣意的な解釈をしなければ、この説明は成り立たないが, 能書は、頭の中で文字列を描きながら書写していたに違いないことを考えれば、なるべく省力して書くためには、「あるをや」と「あをや」きの重複を利用して、一回の書写にしたのではないかと考える。視覚的に入る文字の裏に、敗者の和歌は、別の意味を持たせているのだから、この文字操作は、その作戦の同一線上にある。ま、ただの能書が、汎用していた省力スキルかもしれないが。

複数文字にわたる掛字は、平かなだけではなく、同じように、万葉仮名でも行われている。「秋萩帖」にその例(写真図右)がある。この裏紙に書かれた和歌には、1~4字の脱字があり、同じ要領で、すべて解読できた。次回は、古今集とは、離れるが、その秋萩帖の4字の脱字について説明したい。

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