貫之の心・私の元永本古今和歌集

一味違った古今集の解読を試みたものです。
抒情詩として読まれてきましたが、「掛詞」をキーワードに解読してみると、政治的敗者の叙事詩が現れてきました。その一部、かな序だけでも鑑賞していただけたらと思います。

(18)清和天皇の麦角による毒殺

清和天皇の密殺が、基経によって行われたことは、貫之の(1114)の歌に詠まれている。その毒殺が、今は知られている麦角でなされていたと読めて、私自身、疑心暗鬼‼ 驚愕‼ しかし、あくまで、その言の葉を信じて、解読してみた。その歌とは、(307)。


(307)題しらす
ほにしいてぬ やまたをもると から衣 いな葉の露に ぬれぬ夜そなき  讀人しらす


ほにしいてぬ=穂に・し(強調の助詞)、死・出で(自下二未然、連用形)・ぬ(否定、
      完了の助動詞)。
やまたをもると=山田、八股(多くの後宮を持っている清和のこと)・を・守る、盛る・
      と。
から衣=唐、殻(亡き骸)・衣(僧衣)。
いな葉の露に=汝(い、おまえ)な(の)(音読みで)兄夫(えふ、年長の夫人高子)の露
      (あらは)に。
ぬれぬ夜そなき=濡れ(自下二未然、連用形・涙に濡れる、情事をする)ぬ(否定、完了の
      助動詞)・世(男女の仲、世間)ぞ無き、四十(よそ、四十年)亡き。


「穂から、死の毒が出た。多くの後宮を持つ清和天皇にその毒を盛ったので、僧衣をまとった亡骸になってしまった。おまえ(清和)の年上の高子は、はっきりとわかる(業平との)情事をした。(高子が)四十歳の時、(清和は)亡くなった。」


定家は、一句の「し」を「も」に校訂して、「穂にも出でぬ」(穂にも実らない)としているから、もう作者の意は、汲みようがない。
字余りにしてまでも、作者が込めたかった意があるのである。強調の意に隠れて、重要な仕掛けを探さざるを得なかった。


引っかかったのは、「もる」。すぐ前の歌では、「いなおほせとり」が税吏の暗喩であることから、素直に「守る」と取ったが、ここでは、同じ意味にはしていないはず。「毒を盛る」?と見ると、すぐに「穂に死出でぬ」と読めた。そして、バッカクが頭に浮かんだ。薬剤師の直感である。
麦角は、イネ科植物の花に麦角菌が感染して、その実から、黒い角のように生えてくる菌核である。この中には、麦角アルカロイドが含まれ、循環器、神経系に対して猛毒。しかし、こうしたことがわかったのは、19世紀になってから。平安時代に、その存在すら知られていたかどうかも、わからない。「本草綱目」にも見当たらない。調べてみると、ヨーロッパでは、麦角中毒は、St.Anthony's fireと呼ばれて、聖アントニウスに祈ると治ると信じられたとある。fireの文字がある通り、神経系には、手足が燃えるような感覚を与えることを言っているとみられる。
「穂」は「火」でもあるから、症状を詠んでいた、それともただの偶然か。しかし、何とも意味が通っていくのである。


清和天皇の後宮の多さ、不人気さは、(273)(1114)にも詠われている。ここでも、そのように詠われているので、でたらめな読み方ではないと思っているが、どうだろう。

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