貫之の心・私の元永本古今和歌集

一味違った古今集の解読を試みたものです。
抒情詩として読まれてきましたが、「掛詞」をキーワードに解読してみると、政治的敗者の叙事詩が現れてきました。その一部、かな序だけでも鑑賞していただけたらと思います。

(77)「枯野(からの)」という高速船

古今集の和歌を解読する中で、初めて出くわす単語だった。「枯野」。「からの」と読み記紀に「枯野・からの」の表記がある。


①日本書紀応神天皇五年冬十月
伊豆国に命じて造らせた。長さ十丈の船ができた。
試しに海に浮かべると軽く浮かんで速く行くことは、走るようであった。
その船を名付けて枯野といった。


五年…冬十月、科伊豆國、令造船、長十丈。船既成之 試浮于海、便輕泛疾行如馳、故名其船曰枯野。由船輕疾名枯野、是義違焉。若謂輕野、後人訛歟。


速く走る船を「枯野」と古事記同様に表記している。「かれの」と書いて「からの」と読ませている。また、この説明の後に、おかしな命名だと疑問を投げかけている。


枯野(からの)の船体について、巨大な丸太をくりぬいて流線形にした底の浅い形状をして、表面を焼くなどして、防水軽量化をした姿を想像してみた。そして、「漢弩・からの」の字をあててみた。「弩」は万葉仮名で「野」と同じ発音の「の」。つまり、中国の強力な石弓を意味すれば、速く走る船の名にふさわしい。


②古事記下つ巻仁徳天皇
この御世に、その樹の影が朝日に当たれば、淡路島に及び、夕日に当たれば高安山(大阪府中河内郡)を越えたという巨木があった。この樹を切って船をつくると、速く走る船ができた。名付けて枯野といった。天皇の飲料水を運んだが、壊れたので塩焼きの燃料にし、その焼け残りの木で琴をつくると、その音は、七里に響いた。そこで、詠ったことには,
 *枯野を鹽に焼き 其が餘り琴に作り かき弾くや
 由良の門の 門中の海石に触れ立つ 浸漬の木のさやさや
と詠った。


歌の部分*の原典を引くと、
 *加良怒袁 志本爾夜岐 斯賀阿麻理 許登爾都久理 加岐比久夜 由良能斗能
 斗那加能伊久理爾 布禮多都 那豆能紀能 佐夜佐夜


「枯野を塩をつくるための燃料に焼いて、その残骸の木を琴に作った。音がでるのだろうか。由良の門の内にある暗礁に、揺れ生えている海藻のように、さらさら(と鳴るだろうか)。」


従来の解説を書いてみたが、別の理解もできる。万葉仮名は、同音のたくさんの漢字が当てられ得る。


加良怒袁=からの(枯野)を。殻(から、亡骸)の・を(次に続く)。
志本爾夜岐=しほ(塩)にや(焼)き。(前から続いて)惜し(をし、形シク終止形・いと
     しい)本に(ほに、本当に)焼き(やき、自四連用形・嫉妬する、次に続く)。
斯賀阿麻理=しがあまり(其が余り)(前から続いて)し(回想の助動詞連体形)が・あま
     り(次に続く)。
許登爾都久理=こと(琴)につくり。(前から続いて)余り事(余分なこと)に作り(他四
     連用形・見せかける)。 
加岐比久夜=かきひく(引く、他四連体形・弦をかき鳴らす)や。餓鬼(がき、仏教語で飢
     えや渇きに苦しむ亡者)引く(ひく、他四連体形・引き合いや例に出す)や。
由良能斗能=ゆらのと(由良の門、丹後国由良川河口)の。揺ら(ゆら、玉や鈴が触れ合っ
     て鳴る音)の殿(との、ご主人様、仁徳天皇)。
斗那加能伊久理爾=となか(門中)のいくり(海石、暗礁)に。と仲(なか)幾里(いく
     り)に。
布禮多都=ふれたつ。触れ(ふれ、自下二連用形・男女がなれ親しむ)絶つ(たつ、他四連
     用形・縁を切る)。
那豆能紀能=なづ(浸漬、海水に浸っている)の木(海藻?)の。汝(な、あなた、仁徳)
     つ(の)鯁(のぎ、上代・喉に刺さった魚の骨)の。
佐夜佐夜=さやさや。さや(副詞・さわやかで気持ちがいい様)然や(さや、そのように…
     か)。


「(仁徳の皇后の)死はいとしいことよ。ほんとうに、嫉妬したのだが、大げさに見せかけて、餓鬼の苦しみだと言いたいのだろうか。浮気なご主人様とどのくらい仲がわるかったのか。あなた(仁徳)は、喉に刺さった魚の骨が(取れて)そのように爽快になったことよ。」


好太王碑文にある戦いで使われてであろう「漢弩・からの」が、応神、仁徳期に記録されているということだろう。皇后の死に際して、ちゃっかり仁徳の本音をうわさしている。

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