貫之の心・私の元永本古今和歌集

一味違った古今集の解読を試みたものです。
抒情詩として読まれてきましたが、「掛詞」をキーワードに解読してみると、政治的敗者の叙事詩が現れてきました。その一部、かな序だけでも鑑賞していただけたらと思います。

(80)源氏物語は藤原氏物語?

源氏物語の相関図を見ていて、ふと、光源氏が良房に思えてきた。あれほどの好色家の光源氏なのに、正式な子が夕霧しかいないことが不審だった。光源氏は良房ではないか。


良房には、明子しか子はいない。そして、父冬嗣(桐壺院)の妻大庭王の娘(藤壺中宮)に手を出して、良世(冷泉帝)が生まれているのだ(52)。良世は、帝に匹敵する左大臣になっている。


「尊卑分脈」では、良世の母は大庭王の娘、良房と同じ母ということになっている。ふつうの同母の兄弟とみられるのだが、良世は、良房の(大庭王の娘との)子。冬嗣は、猶子を欲しがっていた(596)ので、自分の子として受け入れたのだ。良房はマザーファッカーということだ。それを隠すために、母は藤原美都子ということになっているとみた。


(52)の良房の歌は、「としふれば…」の歌。「…ものおもひもなし」と詠っている。つまり、「…藻(も、女の暗喩)の母(おも)避(ひ)もなし」ということなのだ。


母は避けることもなかったので、関係をしたという。とんでもないマザーファッカーということを彼自身が表明している。妃(ひ)と考えたが、甲類の発音ではないので、訂正した。


藤原氏は、その絶頂期にあるとはいえ、いくら頑張っても、天皇の位には登れないので、藤原氏の中で、天皇に模して物語を、紫式部に構築させたのではないか。藤原氏の一大勢力家系図を物語にして。物語の中では、藤原氏は、政治の実権を持った「天皇」になりきることができるのだから、道長はいくらでも紙と墨を提供したにちがいない。物語にして天皇にも面白く読ませることができ、実力を見せつける快感を味わったであろうか。


紫式部は、貫之とも親交のあった雅正の孫にあたる。当時の歴史を古今集の歌によっても熟知していたのだ。

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