貫之の心・私の元永本古今和歌集

一味違った古今集の解読を試みたものです。
抒情詩として読まれてきましたが、「掛詞」をキーワードに解読してみると、政治的敗者の叙事詩が現れてきました。その一部、かな序だけでも鑑賞していただけたらと思います。

(69)秀吉も使った掛詞

千利休の切腹に関して、一次資料を提示、解説してくれた本を紹介したい。
中村修也著「千利休 切腹と晩年の真実」朝日新書 2019年


私は、利休の切腹はありえないと思っていたので、同論の本をみつけてうれしかったので、書いてみます。主な理由を三つ挙げます。


①利休は商人。商人に(特別視したとしても)武士の作法である切腹は要求しえない。


②天正19(1591)2/13堺追放を言い渡され、その夜、利休が淀の津から逐電するのを細川三斉と古田織部が見送りに来たことを、手紙に利休が書いている。


③日本語本来の掛詞(切腹、説伏)を秀吉が用いて、旧来の有力同志を権威で追い払った。
この掛詞は、定家が現れる前は、和歌などにも使われており、その言語操作の伝統は、陰に続いた。掛詞は、駄洒落としてバカにする向きもあるが、日本語の持つ同音多義の性質を、別の意味世界形成に利用しているとみた。


平安の昔から、掛詞は忘れられてはおらず、秀吉も使ったということだろう。著者は、②など一次資料を用いて、利休の切腹が、その当時の話題になっておらず、江戸時代以降の文献にみられることを披露している。


秀吉の武の権威とは異なる茶(経済)の権威を打ち立てようとした利休は、敗北したかに見えたが、いやいやどうして、現代にまで生き延びている。

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