(31)「よき人のよしとよくみて…」
古今集は、掛詞に満ち満ちている。それは、万葉集から受け継いだものだ。そこには、おいそれと、理解できない掛詞の連続。
万葉集巻第1(27)を解読します。
詞書には、「天皇 吉野の宮に幸す時の御製歌」とあるから、679年天武天皇が作った歌。
淑人乃 良跡吉見而 好常言師 芳野吉見与 良人四来三
よき人の よしとよくみて よしと言ひし 芳野よく見よ よき人よく見
よき=予期(前もってあてにする)、斧(よき・手斧)。
よし=由(理由)、四子(草壁、大津、高市、忍壁皇子)、余人(川島、志貴皇子)、葦
(=あし・悪し)。
よく=よく(十分に)、欲。
言ひし=言ひ・し(回想の助動詞「き」連体形・連体終止法)。
淑人とは、天武天皇自身のことであろう。679年の吉野の盟約を詠った歌とみた。
「私は、(天智が言う)理由と欲を理解して、(彼の意向を)よろしくないと断り言った。四人の子よ、他のふたりよ、十分に観察しなさい。武器、人格、欲を見て。」
天智天皇の臨終に際し、彼は、大海人皇子を呼び寄せ、後を任せようとした。しかし、大海人皇子は、彼の息子大友皇子に譲り、その日のうちに出家し、吉野に逃れる。672年、壬申の乱に大海人皇子は、勝利し、大友皇子は自害する。
後に、上記6人の皇子と、天武と皇后は、吉野の盟約をする。その時に作られた歌とみた。
大海人皇子が、天智の枕許に呼ばれた時、その言葉に同意すれば、斧が降りかかってくることを彼は、察したのだろう。すぐに、断り逃れたのだ。その時の教えを、誇らしげに伝授している歌とみた。
一首中に、同じ語句を重ねて詠む歌を、畳句(じょうく)と、歌論用語でいう。すでにこの、平かながない時代から、存在してしていたことは、興味深い。