貫之の心・私の元永本古今和歌集

一味違った古今集の解読を試みたものです。
抒情詩として読まれてきましたが、「掛詞」をキーワードに解読してみると、政治的敗者の叙事詩が現れてきました。その一部、かな序だけでも鑑賞していただけたらと思います。

(73)イザナギは男か(2)

古事記の最初の部分のはじめから、ちょっと、思う所を記しておきたい。イザナギが出て来るのは前回(68)で解説した部分が最初ではなく、その前に既に記述されているから、そんなこと言っても前にちゃんと「妹」と書かれていると思った読者がいると思う。


その矛盾を、違う解読をすることで解消してみたい。


古事記は、変体漢文で書かれている。純粋な漢文、中国語ではなく、万葉仮名で書かれている部分もある。倉野校注「古事記」(岩波文庫)を参考に、別の解釈の可能性をさぐり解説してみたい。最初から見ていく。


①天地初發之時 於高天原成神名 天之御中主神
天地はじめて開けし時 高天の原に成れる神の名は 天之御中主神


この文の次に、角書き(一行のなかで、小さく二行にわたった説明文)の割注がある。
訓高下天云阿麻 下效此 (高から天を訓んでアマという、以下これを効く)


つまり、「高天」をアマと訓むということで、以下そのように訓むということ。
しかし、著者は、「高天」をタカマと訓んでいる。この注の訓みとは違う。
「高」は、尊意を表すもので、本来の「天・あま」と読むと注がしてあるのだ。


②最初の三柱の紹介があり、「隠身也」と続く。「身を隠すなり」と訓めるが、著者は「身を隠したまひき」としている。原文に尊敬の語はない。


神代七代の紹介が続く。次成神名(次に成れる神の名は)…と続いて、
③次伊邪那岐神 次妹伊邪那美神 (次に生まれた神の名は… イザナギ神、次に妹イザナミ神)


やはり、イザナミは、妹、女ではないかと思われる。
しかし、変体漢文は、隠れ蓑の漢字(万葉仮名)を持っているとすれば、別の解釈も可能。
「次妹」は「しも」とも万葉仮名で読める。助詞とも取れるが、下、つまり召使の意ともとれる。イザナギ神が主神で、イザナミ命がその召使、私の説では、女性の神が主、男性の神が従ということになる。これは、新羅系天武から、百済系持統が皇統を奪おうとした有様を象徴していると、私は考えている。(イザナギ神は持統、イザナミ神は天武。)


「イザナミ」の前に付けられた言葉を拾って検討してみる。
最初のページp.238から。


次妹伊邪那美神=しも(下)伊邪那美神


「次に成る神」と続いて、これがくるのだから、「次に妹」と解釈するのが、自然だが、これが、引っかけなのだ。万葉仮名読みで、「しも・下・召使」とは、悪意ある上手がいるのだ。


P.239
其妹伊邪那美命=しも(下)伊邪那美命
「其」は「し」とも読める。卑しめて「おまえ」の意で、古今集で使われている。


同ページ
文の一構成助詞となっているとみたので、全文を引く。
於是伊邪那岐命 先言阿那邇夜志愛袁登賈袁 後妹伊邪那美命 阿那邇夜志愛袁登古袁


ここにおいて、イザナギ命まず、「あなにやし、えをとめを」と言い、後にも イザナミ命 「あなにやし、えをとこを」と言う。


イザナギ命が先に「」と言い、同じように後「」と言ったというのだ。


p.241
愛我那邇妹命乎=愛しき我のしも(下)の命を
この次には、「那邇」は音読みと注釈がある。校注者は、「愛しき我が汝妹(なにも)の命を」と訓下している。


「那」は、万葉仮名読みで、「の」、「邇」は、呉音「に」漢音「じ」。校注者は、呉音をとっているが、漢音をとると、上記のように、「我のしも(下)の命を」と取れる。


p.242
其妹伊邪那美命=しも(下)イザナミ命
愛我那邇妹命=愛しき我のしも(下)の命
上記と同様の解釈ができる。


p.243
「其妹」が二か所ある。
どれも、イザナギが主人で、イザナミが召使(下)であることを意味している。


以上、校注者の解釈とは違う理解ができる。
これらは皆、漢文と万葉仮名とを自在に使い分けて、二重読みをしている。解釈が二通りに可能な巧みな構造文に仕立て上げていることになる。


天武系の歴史を建前に、本音で天智系の歴史を、まんまと伝えているのだ。

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