貫之の心・私の元永本古今和歌集

一味違った古今集の解読を試みたものです。
抒情詩として読まれてきましたが、「掛詞」をキーワードに解読してみると、政治的敗者の叙事詩が現れてきました。その一部、かな序だけでも鑑賞していただけたらと思います。

(34)拾遺和歌集にみる掛詞

この歌集の冒頭に、壬生忠峯の歌がある。彼の歌は、評価高く、藤原公任は、作例の最高位にある歌としている。
<忠岑は、宇多の子で(365)(1003)、公然の秘密であったようだ。勅撰集の冒頭は、天皇家に属する人の歌であるのだ。宇多の初めての子は、885年(宇多18歳)に生まれているから、この頃に、生まれたのであろう。古今集編纂時、20歳ころ、早熟な天才的な歌人であったようだ。’19.10.8加筆>


(1)春立つと いふ許にや 三吉野の 山もかすみて 今朝は見ゆらん


春立つと=春(東宮、貞明親王)立つ(位に就く)と。
許=ばかり、許し。
三吉野の山=散(故)・吉野の山(平城天皇のこと)。
今朝=今の朝廷。


「貞明親王が即位することが許されるのだから、亡き平城天皇も(涙に)かすんで、今の(当時の)朝廷を喜んでいるだろう。」


業平の子が、陽成天皇として即位した時、曾祖父平城もうれし涙で、喜んでいるさまを作者は、思い描いている。


この歌集は、古今和歌集成立から100年後の勅撰集。掛詞の盛られた和歌が理解されていた時代なのだ。しかし、だからと言って、こうした歌がつくられた訳ではない。藤原摂関家が独占路線を突き進む時期に、対抗を期待できる氏族は、絶えてしまったから。徐々に、こうした技が、古文と化し、漢文を離れた和文が、平かなという媒体を得て、ゴシップなどの平易な生活和語に練られていく時代に入るとみる。

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