貫之の心・私の元永本古今和歌集

一味違った古今集の解読を試みたものです。
抒情詩として読まれてきましたが、「掛詞」をキーワードに解読してみると、政治的敗者の叙事詩が現れてきました。その一部、かな序だけでも鑑賞していただけたらと思います。

(37)「雑歌」は、雑多な歌ではない。

古今集は、春の歌からはじまる。万葉集は、「雑歌」からはじまる。
これを「ざっか」と読んではいけない。「くさぐさのうた」だ。古今集には、第17、18に雑部がある。


くさぐさ=日(くさ=天皇)・具者。
つまり、天皇とその取り巻きの人々が詠んだ歌ということだ。


今でも、苗字が「日下」という人がいる。これを「くさか」と読めなかったが、古代の大和言葉を知るようになって、ガッテンである。「日」は「くさ」と読んでいる。
草壁親王も「日下部・くさかべ」、天皇の位のすぐ下にいる皇太子の意味で、名付けられている。当時の人は、どう呼んでいたかわからないが、持統天皇は、当然の後継者と、位置付けていたことがわかる。


古今集第17、18は、だから、天皇やその側近が詠った歌ということである。確かに、仁明天皇から、宇多、基経、高子など、読み人しらずとされているが、その内容から、作者が特定できる歌もある。すべて、政治歌として読むことができる。文節の切り方を変えたり、同意語を入れ替えたり、音読みで考えたり、いろいろ工夫すれば、別の切り口で歌が
生まれてくる。

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