貫之の心・私の元永本古今和歌集

一味違った古今集の解読を試みたものです。
抒情詩として読まれてきましたが、「掛詞」をキーワードに解読してみると、政治的敗者の叙事詩が現れてきました。その一部、かな序だけでも鑑賞していただけたらと思います。

(45)女装していない「土佐日記」

「土佐日記」は、「男もすなる日記といふものを女もしてみむとてするなり」ではじまる。
小松英雄氏により、「女文字で」と解説された時、私は、こうした古典が完全には解読理解されていないことを知った。しかし、解説はここまでで、「男も、すなる日記」の「も」が、理解不能であった。日記は、当時、男がすることが当たり前であり、「も」であれば、女がしていて、はじめて「男も」と表現できるはずであるから。


かな序の地文を掛詞で、解析してだいぶ鍛えられたせいか、ふと、「男燃す日記」が浮かんだ。国語辞典にはあるが、古語辞典で調べるが、載っていない。当時、「燃す」という言葉があっただろうか。
例えば、「見ゆ」の類語と考えれば、
見ゆ=自下二・見える。他動詞・見せる。「見る・他上一」の自動詞化。
同様に「燃す」も考えられる。
燃ゆ=自下二・燃える、感情が高まる。「燃す・他四」の自動詞化。


つまり、「男が情熱を燃やして、つけている日記というものを、女文字(平かな)で確認しようとして(墨を)擦るのである。」と解読できる。


それとも、当時、日記というものは、政治の秘密が記されており、焼かれたものが多く、残すためには、娯楽教養の文字であった女文字で、焼失を免れようとしたのかも。

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