貫之の心・私の元永本古今和歌集

一味違った古今集の解読を試みたものです。
抒情詩として読まれてきましたが、「掛詞」をキーワードに解読してみると、政治的敗者の叙事詩が現れてきました。その一部、かな序だけでも鑑賞していただけたらと思います。

(63)毒殺の危険は常だった

古今集の歌の中には、万葉集の歌を本歌とするものがある。万葉集の歌の読み方を決定できる貴重なケースだ。読みだけでなく、その意味の理解の手助けにもなる。


(683)は、万葉集の歌(2798)の本歌取りで、この本歌を理解することで解読ができた。


(2798)伊勢乃白泉郎之 朝魚夕菜尓 潜云   鰒貝之 獨念荷指天
   伊勢の海人の  朝な夕なに 潜き云ふ 鰒貝の 獨念にして


三句は、「かづくてふ」と古今集に読ませている。それが、本来の読み方だが、「かづきいふ」とも読める。この読みの方を取ってみた。


伊勢=以前。
白水郎=海人。大海人皇子の暗喩。
朝魚夕菜に=(文字通りに)食事毎に。
潜き云ふ=担ぎ(かつぎ、他四連用形・だます、顔を隠す)異父(いふ、舒明天皇、大海人
    皇子十歳の時没)。
鰒貝の獨念にして=あはびの獨念(片思ひ)にして。間(あはひ、関係、配合)の甲斐(効
    果、価値)の(音読みで)毒根(附子などの毒草の暗喩)に仕手(やり手)。


「以前の(若いころの)大海人皇子は、食事毎に、(食べ物を食べたように)だました。異父舒明は、附子などの(毒殺のための)配合の効果を知るやり手だった。」


大海人皇子は、舒明の子とされるが、異父というのだ。だから、幼少のころ、附子の毒性をよく知る舒明は、附子で大海人皇子を毒殺しようとするのが常であったというのだ。大海人皇子が十歳の時、舒明は没している。その時までのことだ。


いろいろな歴史の疑問に答えてくれる史実が浮かび上がって来る。どうだろう。

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