貫之の心・私の元永本古今和歌集

一味違った古今集の解読を試みたものです。
抒情詩として読まれてきましたが、「掛詞」をキーワードに解読してみると、政治的敗者の叙事詩が現れてきました。その一部、かな序だけでも鑑賞していただけたらと思います。

(23)俊成が激賞した「むすふての…」

藤原俊成(1114~1204没)が、絶賛したという貫之の歌がある。「…大方すべて詞ごとのつづき、姿、心、限りなく侍る成るべし 歌の本体は ただこの歌なるべし」


果たして、俊成は、この歌をどう解釈していたのだろうか。元永本が書写されたのが、1120年。このころは、歌の本意は、理解されている。しかし、この頃生まれた俊成にはもう貫之の意は、理解されていない。


そもそも、平かなは、空海(774~835没)の時代、まだなかった。近年、藤原良相(813~867没)の邸宅跡から、平かなの墨書された皿が発掘された。つまり、この30年ほどの間に平かなは生まれている。この位の長さの時間があれば、平かなは、変化できたということだ。


俊成が絶賛したというのは、
古今和歌集巻第八離別 (404)
しかの山こえに 石ゐの本にて 物云ひける人の わかれけるによめる  つらゆき


むすふての しつくにゝこる 山の井の あかても人に 別ぬる鉋


現代の解説本には、その歌意を次のように説明している。
「満足もしないで別れてしまうことよ。」(久曽神訳)


俊成が絶賛したのは、序詞の巧みさであった。いいたいのは、「あかても人に別ぬるかな」の下句であり、上句は、それの助走であるというわけだ。そこを彼は、評価している。歌の幽玄味はないが、畳み掛ける理屈っぽさと設定状況の巧みさがある…


詞書
欠点だらけの右大臣橘氏公が、順番を無視して昇進するので、次に待っていた人たちがいた所で、洒落を言った人が、立ち去る時に詠んだうた。


しかの山こえに=疵瑕(欠点)の山(井手右大臣の暗喩)越え(順序に逆らって他を飛び
     越える)に。
石ゐの本にて=以次(次席の人々)居(場所)の本にて。
物云ふ=男女が情を通わせる、洒落を言う。


むすふての=結ぶ手の、生す(生い茂る、繁栄する)普天(天下)の。
しつくにゝこる=雫、仕付く(し慣れる)・に濁る、実(副詞・まことに)国(帝位)に
     凝る(こだわる)。
山の井=井手右大臣、橘氏公の暗喩。
あかても人に=我が手も人に(私の配下にいた人、恋人も他人になって)、空か(自四未
     然形・欠員ができる)、閼伽(神聖な供水)・で(否定の接続助詞)も人(次
     席の人々)に。
別ぬる鉋=別れぬるかな、別け(理由)塗る(なすりつける)かな。


歌意①
「栄華の天下で、(皇太后であるという姉の)皇位にたいへんこだわった橘氏公は、位が空いていないのに、理由をつけて、人を押しのけ、昇進するよ。」


嵯峨天皇の妻であった橘嘉智子は、氏公の姉であり、嘉智子所生の正良親王が立太子されたこともあり、氏公は、急激な昇進を果たし、844年右大臣に上り詰める。しかし、能力は昇進に伴わなかったとみえて、先を越された者からは、「昇進の言い訳を、鉋(かんな)のように、擦り付けた」と笑い飛ばされたとみた。


俊成にこうした歌意をとる心構えはない。もはや、歌に歴史を織り込む必要性のない人々と時代になっていた。


もちろん、志賀の山越えの場面設定での歌意もちゃんと用意されている。


歌意②
志賀の山越えの際、石井の湧き水のもとで、以前情を交わした女が、別れる時詠んだ歌。
「情を交わした関係も一滴の雫で、壊れてしまうような清らかな神聖な水と同じで、私の手元から、別れていってしまうのですね。」

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